本藍染を中心に素材にこだわり
一枚一枚絞り染めて
丁寧に作っています

日本人が愛する「いにしえ」の色である「藍」を使った
小物や衣類を身に纏い、

蝶々の様に日々の生活に彩りや華を取り入れて、日常が心地良いと感じて頂けるような製品づくりを目指しています。

ブランド名である「Aihiraco」とは大和言葉で
“蝶”を意味する「ひらこ」に由来しています。

Aihiracoの本藍染

本藍染、灰汁発酵建てなどと呼ばれる、昔ながらの方法で染める藍染で、原料に化学薬品を使用しない地球にも人にも優しい循環型の天然染料です。

いわゆる合成インディゴやインディゴピュアのように化学的にインディゴの成分だけを抽出した藍とは異なります。

古来より伝わる日本の伝統技術であり微生物による発酵の力で染液を作り、管理しています。

藍の染液はずっともつものではなく、4か月から半年程で色が出なくなる事が多いです。
アイヒラコの工房では1年半から2年程で色が出なくなります。
染めることが出来なくなり役目を終えた染料は土に還します。

それでもなるべく長く藍を生かす為に日々の管理をします。
これを『藍のご機嫌うかがい』といい、藍の様子を観察して栄養を与えたりして微生物の好む環境を作るのです。
藍染の作業の中でこれが1番難しく、藍を活かすも殺すもこの作業の管理次第で決まります。

毎日藍の状態は違い、同じようには染められないので、その時の藍の様子を見てその日の仕事のスケジュールを立てます。

本藍染の原料

すくも、木灰、灰汁、ふすま、貝灰

材料はたったのこれだけ

天然のものしか使いません

・《すくも》

蓼藍(タデアイ)の葉を発酵させた物で藍染の原料となる。

伝統技術を受け継ぐ藍師と呼ばれる匠によって作られてきました。

藍師はタデアイの作付け、刈り取り、選別、乾燥、寝せ込み、切り返しを経て発酵させていきます。中でも発酵の作業は重労働で要する期間は100日ほどです。藍の色を左右する【すくも】を製作する職人です。
昔は全国に沢山いたそうですが今はとても少なくなりました。

Aihiracoでは貴重な徳島県の新居製藍所さんが製造される『すくも』を使っています。

・《灰汁(あく)》

樫やクヌギなどの広葉樹の木灰を水で焚いた物。

藍建てには良質な木灰が必要不可欠です。

良質な木灰でなければ藍建てに必要な高いアルカリを維持出来ません。

・《貝灰》

・《小麦のふすま》

藍の染液ができるまで

準備

《灰汁作り》

木灰を水で煮て一晩置くと、木灰が沈み、上澄み液のみを汲み取ります。上澄み液が灰汁となり1番に取れる物を1番灰汁と言います。
アイヒラコでは、これを4番灰汁までとります。

灰汁を保管している樽

《染料を作る》

藍甕の半分くらいの水量になる様に【すくも】【灰汁】を入れ発酵をさせます。発酵状態を見て嵩上げ(灰汁を徐々に足して染液の嵩を増やす)をし、様子を見ながら【ふすま】【貝灰】を入れ、安定したら染められる状態になります。この作業を藍を建てると言い、藍建て(あいだて)と呼びます。

準備から染められる状態になるまで半月程を要します。

染められる様になってからは、藍の管理をほぼ毎日行います。
攪拌作業、温度管理、藍の状態によって灰汁、貝灰、ふすまを組み合わせて栄養を与えます。


profile            
      

安土 奈緒 (Nao Azuchi)

愛知県豊橋市生まれ。ミシン屋が家業の祖父母、両親に育てられ洋裁のプロ達に囲まれた環境だったことから、幼い頃より洋裁に興味を持つ。

高校卒業後、上京。文化女子大学服装学科で洋裁におけるデザイン、パターン、縫製のイロハを学ぶ。

フォーマルからカジュアルまで、アパレルオールアイテムを作る現場に興味を持ち、大手アパレル企業に就職する。様々なアパレルアイテムの基となる型紙を作り、工場への縫製仕様を発注する仕事である“パタンナー”としてそのキャリアを積んだ。その後、レディースアパレルに自身の創造性を刺激され、生産拠点を海外に置くアパレルブランドへ転職、更にパタンナーとしての技術力を培った。

アパレル生産における品質を一手に担う要職であるパタンナーとして、ものづくりを追求していくうちに、生地や糸といった素材自体の生産過程に興味が引き込まれていった。特に“染色”という工程の奥深さに魅了された。

幾多の染色方法がある中で、“藍染”の日本古来の青の美しさに惹かれ、後の師匠である村井泰子氏の工房の門を叩き、藍染と有松絞りの技法を習う。

2015年より藍染ユニット「aotan」にてワークショップを中心に藍染を広めていく活動を始める。

結婚と出産を経て、子育てしながら藍染めと、今までの身につけたパタンナーとしての技術、縫製技術などを駆使してデザイン、絞り、染めから仕上げまでを一貫して行うということを仕事として生きていきたいと一、故郷に戻り「Aihiraco」を通して日々製作している。